2017年5月15日月曜日

沖縄の本土復帰45年

 2017年5月15日沖縄が本土へ復帰し45年を迎える。年がばれてしまうけれど、私が小学校1年に上がったばかりで、学校から沢山の文房具や食べ物をもらって帰った記憶があり、この日の事はよく覚えている。ノート・鉛筆はもちろん沢山の文房具が小さな1年生には重かったが、中でも一番うれしかったのは、にこにこバッチ😊だった。黄色の缶バッチは、小学生の低学年には憧れの高級品だったので欲しいと思うような品物でもなかったけれど、米軍が「子供たちに」と支給したのではないかと思う。また、記憶が正しければ同じように支給品として脱脂粉乳の箱も持たされた。1リットルの牛乳パック程あったかな?と思うけれど、重かったし、好きではない脱脂粉乳をもらったので嫌な思いと一緒に記憶に焼き付いた。当時、沖縄本島で暮らし小学校へ上がる前の幼馴染はお隣のアメリカ人の子供だった。パーリーとジョージとは、母親が日本人だったので日本語でおしゃべりし毎日遊んだ。外人住宅に暮らしていたこともあり、周りはみんなアメリカ人のお宅で軍関係者だった。幼稚園児の私は、休日になるとお隣のアメリカ人家族に便乗し軍施設へよく遊びに連れて行ってもらった。大きなアイスクリームや大量のチョコレートと驚く体験は忘れることはない。また1セントで駄菓子屋の大きな飴玉が2個買えたのも覚えている。当時1ドルはとても価値があったそうで、高校生だった従兄弟の話だと「1ドルを持ってカップルで映画を見に行き、帰りにコーヒーを飲んでもおつりが来た」とのこと。それでも1ドルが380円の時代だから、沖縄は貧しかったと両親は話す。小学校に上がり、復帰してからは学校の友達と遊ぶようになり、気が付いたら周りからアメリカ人が居なくなっていた。昔住んでいた浦添市周辺の基地はだいぶ返還されたけれど、中部や北部に向かう車の中からみる風景は30年たってもあまり変わらず、その変わらないことに驚く。異文化がいつもすぐ側にあり大きな影響を受けるという事は、沖縄独自の文化を大切にすることも同時に教えられた。大人達は、戦争体験を経て自分の愛する自国の文化や習慣が変えられようとする大きな力の中、日々の生活でどんなことを体験し、どんな思いで戦後を過ごしたのだろう。世代が代わり、そのうち戦争体験者が沖縄からもいなくなる日がやってくる。(N)

2017年5月1日月曜日

ヨーロッパキリスト者の集い

 毎年恒例のヨーロッパキリスト者の集い第34回は、今年も夏に行われます。ドイツのライプツィヒにて、8月3日~6日の第一日曜日を参加者全員で礼拝を捧げて終えます。280名の応募予定に、参加申込者が320名となる大盛況となりました。それはなんといっても、今年が宗教改革500周年となる記念の年でありドイツという開催場所も魅力なのでしょう。3年前にこの予定が決まった時には、すでにルターが95か条の提題を掲げたヴィッテンベルグにあるホテルは世界中から集まるプロテスタントでいっぱいだったとのことで、今年がどんなメモリアルイヤーになるか楽しみです。
 集会2日目には、ライプツィヒにあるバッハが生涯の後半をオルガニスト兼指揮者として過ごしたトーマス教会を借りて「賛美礼拝」も持たれます。もちろん、参加者の中から聖歌隊が結成され、賛美とオルガンと素晴らしい楽器演奏にカンタータの調べ会衆賛美と本当に贅沢な集会が予定されています。今から素晴らしい賛美者たちと、ルターやバッハの居た、かの地で「神はわがやぐら」を会衆賛美として捧げることができると、とても楽しみにしています。
 また今回の集いの分科会は盛りだくさんです。ドイツならではの「難民問題を考える」また難民として迎えたムスリムの人々を隣人としてどう関わっていくのか?の分科会もあります。もちろん、今までと同じく信仰継承の事や、帰国して日本の教会にどう仕えていくかも変わらぬテーマでもあります。もっと欧州の日本語教会の抱える問題や悩みを日本の教会と分かち合えたら!と願います。きっと時差があったとしても、これからの日本の教会が迎える問題だと思うからです。SNSやスカイプで近くなった世界にあって、この難しい時代を生き、主に仕える大切な使命を考える機会になればと祈ります。(N)