2015年1月22日木曜日

パトリシア姉来日

昨年末、アルゼンチンの宣教師在原師ご夫妻が4年振りに帰国しました!一緒に連れ帰ったパトリシア姉(19才)はもちろん初来日、2か月ほど滞在し、その間は一緒に教会訪問をしています。
若々しいはつらつした可愛らしい姉妹。19才とは思えないほど、しっかりしていると思いました。
姉妹は11歳の時に信仰を持ってから、週に6日は教会に通い(!)、徹底的に祈りと弟子訓練を身に着けて、それまで家族の様々な問題があったそうですが、母親と兄弟の幾人かは救われ、高校では優秀な成績を修め、現在は大学生。大学に行くバスで知り合った女性に伝道し、その女性が自分の母教会で子供たちを教えているというすばらしい証しをお聞きました。
日本の若い人々にとって良い刺激、励ましになる証しだと思いました。私は早速家に帰り家族に話し、パトリシア姉を模範として、子供たちの信仰の成長のためにお祈りしました。
ところで、昼食はみんなで一緒にこちら事務局の近くの「麦とろ飯しランチ」へ。麦ごはんにとろろ芋という珍しいランチが食べられる所に行きました。在原先生は麦とろを楽しみにして事務局に来られましたが、パトリシア姉はネバネバしたものは一切無理、とろろ芋は食べません、ということでした。日本食もいろいろ気に入ったものもあり、楽しんでいらっしゃるようでしたが・・・。日本は治安が良くて平和ですね、と言っていたことも印象的でした。(K、T)

2015年1月21日水曜日

聖書の重さ

私は年始に小学校6年の娘と一緒にある国のある街へ、聖書を運びました。それぞれ23キロずつ持っていきました。自分たちの着替えはリュックサックに入れて、下着こそは持って行きましたが、ズボンは履いたものだけ、とにかく身軽に行くことを心掛けました。その分一冊でも多く運びたいと思っていました。私は五十肩で、左肩に痛みを抱えながら、娘は細い体であまり力はないものの、頑張って運びました。しかも途中でバッグの持ち手が重さで壊れてしまい・・・。あぁ、重い、重い・・・!と思いながら、はたと気が付きました。そうです、神の言葉である聖書は重いのです!人の命が重いのはみんなの知るところ。(最近は悲しい事件が多いですが・・・)そうだ、人の人生を変える力のある聖書のみ言葉は重いのだ。こんなに重い思いをして運んで、受け取った彼らはどんなにか、聖書が尊いものであるかを知っている。果たして自分はそこまで重いものだとわかっていただろうか?と思いました。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)このみ言葉も何度も何度も読んだことがあります。彼らは何よりも聖書を運んでくれることが嬉しい、と言います。マルタとマリヤの話しにあるように、マリヤのようにイエス様のひざ元でみ言葉を聞き入る者になりたいと改めて思いました。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。・・・」(ルカ10;41.42)本当に一つだけだな、と身を持って教えられた旅となりました。娘もたくさんの人に行ってほしいね、私もまた3,4年後に運びたい、と喜んで帰ってきました。(K,T)