2016年12月26日月曜日

クリスマスはどうすごしましたか?

 昨日、この一年最後の日曜日に思うところがあって夕拝に出かけた。

 「今年のクリスマスは、どんなクリスマスでしたか?
 昨年のクリスマスは、どんなクリスマスで、何が一番印象に残っていますか?
 3年前、5年前のクリスマスのことは何を思い出しますか?
 10年前のクリスマス、1990年のクリスマスは何をどこでしていましたか?」

との問いかけに、ほんの短い時間 いろんなことが頭の中をよぎった。
バブル真っただ中の80年代後半のクリスマスは、
「福音」という言葉も知らずに、沢山の友人を自宅へ招き、パーティをしてもてなした。
世の中が着飾ってクリスマスをするのに退屈な思いがして、
「ハワイアンクリスマス!アロハシャツか?Tシャツを着てくること。」をテーマにした時もあれば、「パジャマクリスマス」の年もあった。
ただ、友人と面白おかしく過ごす時でしかなかった。
また、ク・リ・ス・マ・ス、という言葉の意味さえ知らなかった。

当時は、東京にいたにも関わらず、どこかで教会のチラシを手に取るという幸運や
キャロリングを耳にする最高なひと時や、
礼拝に招かれるという祝福も機会を得なかった。

ただ思い出すのは、20歳の時のクリスマスで、女の子3人で代官山でおしゃれに、
そぞろ歩いて祝日を過ごした。
中の一人が、「今日はクリスマスだから、教会に行ってみようよ」と素敵な、でもよく意味の分からない提案をしてくれた。3人は、「まあ・じゃあ~、物見遊山で近くに教会はないか」と探しながら歩き回わり、恵比寿の駅の近くで(たぶん)大きな十字架のついた教会を見つけそこに入った。今思うとカトリックの教会だった(はず・・・)1階の礼拝堂には人がいなく、2階が騒がしかったので、外階段で2階へ上がった。
そこでは、制服を着たお行儀のよい幼稚園生が100名以上いたと思うが、長いテーブルに座り集まってクリスマス祝会をしている真っ最中だった。シスターが出てこられて、私たちの「クリスマスなので教会に来ました」という幼稚な言葉に、笑顔で快く迎え入れてくださり、幼稚園児の間に席を作り、座らせてくれた。そして彼らと同じようにお菓子が配られ、もてなしてくださったのだ。しばらくすると、プレゼント交換が始まったが、当然何も持ち合わせがない3人にシスターが親切に用意してくださったプレゼントが託され、子供たちの交換場に入れてもらって、しっかりプレゼントまでいただいて帰った。言われるがまま、なすがままだったが、めちゃくちゃ、恥ずかしかった。
でも、今でも忘れられない素敵なクリスマスの思い出だ。

今は3人ともそれぞれ結婚し家庭を持った。
A子は子育てをしながら近くの教会に出かけ宣教師と共に英語のバイブルスタディーに参加したりしていたが、宣教師が帰国、「クリスチャンにはならない・・」と言っている。
また最初に、「教会に行ってみようよ」と誘ったB子は、今もクリスマス礼拝に時々A子とやってくる。
面白がってくっついて行ったC子は、結婚して海外駐在へ出かけ福音を聞きクリスチャンになった。帰国後その証を二人に話し、時々彼らと関わりながらA子とB子の救いを祈りつつ、神様の救いのタイミングとご計画を楽しみにしている。そして、このクリスマスの思い出を思う時、神様は本当にユニークで微笑ましいお方で、愛と憐れみに満ち溢れておられると感じ、感謝してやまない。(N)



2016年11月28日月曜日

ケニアのバラ

 先日、日経新聞の付属品として送られてくる雑誌にアフリカのケニアで花屋をしている女性が紹介されていた。ケニアでバラ?と不思議に思ったのと、若い一人の女性がアフリカでビジネスを展開している姿に興味をもった。
 その方の投稿の言葉を紹介したい、
「事業を通して社会貢献をする」という思いが芽生えたのはアメリカの大学時代。環境や貧困問題を学び、日本の人口に匹敵する数の人々が1日1ドル以下で暮らしていることを知る。教育も受けられない不平等。しかし、彼らの暮らしに豊かな自然や文化を奪い欧米型の発展を押し付けるのはどうか?と様々な思いが巡る」そのうち、彼女は「自分の目で見て、肌で感じ、自分が何を思うかを確かめたい。」と思うようになる。帰国後、一旦社会人として7年働き、ビジネスの本質を学び資金を調達して、導かれてアフリカへ。ケニアで目にしたバラのつぼみの美しさが忘れられず、「ケニアはバラのナンバーワン輸出国」と、誇りをもって働く青年との出会いに、ケニアでバラを栽培し日本へ送るビジネスを始める。
 アフリカ、貧困、現地での雇用、WIN-WINの関係、このキーワードの動かされ起業。まさに、現代にふさわしく、どんなに遠い国であっても、オンラインショップがあり、空輸でそのままの香りと美しさのバラが運ばれる。「ケニアのバラが日本で喜ばれていることで、現地の子どもたちが働くことに夢を持つようになる」
と書かれていた。
==ケニアに雇用を作り、学校に通える子供を増やす。==これが私のミッション。

 この内容を見て、私は、宣教師張りの熱い思いを受け取った。この学校に通う子供たちに福音が伝われば・・・、または一緒に働く人たちに福音を伝えたいという思いで企業する。なんて言葉が入ると、どんなに素敵だろうと思わされる。彼女の背景にどんなご家庭で育って、教育を受けられたか、わからないけれども主が背後でこの素晴らしい働きを支えておられるのだろう。
日本のクリスチャンからも良き働き人が立ち上がっていくことを祈りたいと思った。(N)

2016年10月17日月曜日

驚くばかりの

 アメリカで留学中にクリスチャンになった方とお食事をした。私はドイツで福音を聞き救われた者としてお互いに、海外の地で在外邦人宣教の恵みを受け福音を聞き、イエス様と出会い信じて洗礼を受けた証を語りあった。そして後に帰国し、初めて経験した日本での信仰生活、教会生活を分かち合った。親子ほどの年の差だけれど、主にある姉妹の交わりは御国へのアンティパストだ。
 彼女は、渡米留学する際に「わざわざ」宗教色のない大学を選び入学した。宗教が嫌いだったからだ。3年は、教会に関わらずに過ごすが、韓国人の素晴らしいクリスチャンの友人を通して初めて礼拝に参加する。礼拝を捧げる中で、訳も分からず涙が止まらなかったそうだ。
「渡米するまでの人生でキリスト教に関わったことは?」の質問に、中学の時の先生がクリスチャンで証を聞いて涙したことがあるという事や、もっと素晴らしかった話は・・・ イエス様を信じて救われた後、家族に福音を伝えたいと祈っていたら家庭の事情で1年休学して一旦帰国することになった。家に帰り、両親にクリスチャンになったことを報告すると、「あなたの祖父もクリスチャンだったのよ。」と今まで聞いた事もなかった家族のストーリーが語られた。
 彼女のお祖父様は、クリスチャンだった。幼いころにこのお祖父様が亡くなったそうだが、彼女にだけ生まれた時にお祖父様から「聖書」が送られていたことをその時知る。ご両親からその話を聞き、感動の涙で家を捜索し、その聖書が見つかった! そしてその大切に持ち歩いている聖書を見せてもらった。見開きに「神のなさることは時にかなって美しい」とみ言葉が書かれてあり、おじいさまの自筆のサインと彼女へのコメントが書いてあった。お祖父様の祈りが聞こえてくるようで、感動し心が震えた。神様のご計画の素晴らしさに鳥肌が立ち、二人で涙を浮かべる。ほんとに、どうしてこうも、神様のストーリーは素晴らしいんだろう。
彼女は、現在 献身して宣教師主事になっている。お父様は、彼女の勧めで聖書を読み始めた。
また神様の奇しい方法で、驚くべき恵みの中、福音が宣べ伝えられ、一度祝福の流れた家族への大いなる祝福はとどまることはない、という事実を見せられた。(N)


2016年9月30日金曜日

「主われを愛す」♪

 やっと青空が広がり気持ちのよい風が吹いた9月の最後の日、教会で91歳のクリスチャンのH姉の葬儀があった。幼い頃に福音を聞いていたが、長い人生の旅路に86歳で病床洗礼を受けられ、その後も手厚い看護を受けながら、天に召されて行かれた。
 H姉は幼い頃にアメリカの宣教師 ハナフォード師夫人より日曜学校で福音を聞き、生涯の愛唱歌が「主われを愛す」だったそうだ。~ハナフォード宣教師の経歴は、明治学院大学教授で、大井町教会のオルガニスト、賛美歌改定委員と記載されている。~
幼いころに福音を聞きその後H姉は、結婚し、娘二人を授かり、その娘2人をミッション系の幼稚園に通わせる。彼女は、つらい時こそ「主われを愛す」を口ずさんでいたそうだ。
娘たち2人は、その後洗礼を受けクリスチャンになる。長女のK姉とは、同じ教会の祈りの姉妹で、召天されたお母さまが入居していた施設には、私の義父も導かれてお世話になった。

 この長女にあたるK姉はいつも、「宣教師に福音を伝えられた人の信仰はすごいのよ」と言っていた。ご自身のお母さまは、福音を最初に聞いて80年近い時間を経て86歳で洗礼を受けられたが、イエス様を信じる信仰をずーと持ち続け、幼いころに教わった賛美歌の「主われを愛す」を大切に歌って、主と共に歩んでこられたのだ。 神様のご計画は、本当にいつも不思議で、最初に福音を聞いたお母さまより先に娘さん2人が洗礼を受けクリスチャンになり、その孫にあたるM姉も救われ教会の奏楽者としてオルガンを弾かれている。そしてこのお孫さんのM姉がこの葬儀の日の奏楽をされた。
オルガニストだったハナフォード先生がそこにおられたら、どんなに喜ばれたことだろう!と思う。また、ひ孫にあたる子は、赤ちゃんの時から教会の幼児クラスに通い、小学生になった今は素晴らしい祈りを捧げる子になっている。

主が送ってくださった宣教師の忠実な働きと祈りが100年を迎えようとする時になって、多くの実を見せてくれる。葬儀の最中、このH姉の人生のストーリーを聞かせていただきながら、この収穫の秋に豊かにみずみずしい実が沢山付いている「ぶどうの房」を思い浮かべていた。その宣教師や、送り出してくださった支える方々の熱い祈りが、こうして次世代に受け継がれていることを教えられた。何より、賛美歌で歌われている如くに、主はその魂を忠実に愛し忍耐強く共に歩んでくださるという恵みに圧倒される。(N)

 「わたしは決してあなたを離れず また あなたを捨てない」ヘブル13章5節

2016年9月28日水曜日

浦和の世界宣教祈祷会

 浦和では、毎月第4火曜日の午前中に世界宣教祈祷会を行っています。場所は、浦和コミュニティーセンターの一室をお借りしています。この場所は、浦和駅東口の正面パルコの10階にあります公共施設です。毎月、祈りの勇士が集まり宣教の為に熱く祈りをささげる2時間は、充実した時間です。
 2008年11月から始まりました。最初は、近隣の宣教に関心のある方が集まっての祈り会でしたが、主があちこち出かける先で出会わせてくださる宣教師の方々に気楽にお声をかけたところ、いらしてくださるようになりました。感謝してお招きし、現地での活動報告、祈りの課題をお聞きし祈る時間を持つようにもなりました。今までに延べ45人の宣教師がここから祈り送り出されました。
 超教派の集まりで、場所の予約や連絡係のコーディネーターはいますが、祈り手も、当日にならなければ何名与えられるか?わからないような自由な場所です。一度は、2人の日がありましたし、時には最多人数の30人を迎える日もありました。祈り手の人数は、主が送ってくださいます。また、たとえ多くを祈ったとしても、またそれ以上に、またその事に関わりなく、世界で繰り広げられる神様の御業は淡々と進められていることをいつも感じます。時には、他では中々聞く機会を得ない要配慮の国や地域での宣教活動も知ることができます。はじめは、筆者も「祈りの為に・・」と集っていましたが、何年か集ううちに「ここは主が宣教を教えてくださる場なのだ」と学びの場として豊かにされる恵みを覚えています。
 先月、初めて台風により中止をしました。2か月越しで昨日いらしてくださったのは、ベルギー宣教会から遣わされる川上寧・真咲宣教師ご夫妻でした。神戸で伝道会議が行われている中、人数が少ないのかもしれないと思いましたが、主に集められた祈り手は11名でした。新しい方も加わって、今月も豊かな祈りの時間を持てたことを感謝しました。(N)

2016年9月12日月曜日

How beautiful are the feet of them~ローマ10-15

 教会の聖歌隊でメサイアの合唱曲集を学んでいる。本来、聖歌隊の奉仕の場である礼拝で、より最善の賛美を捧げることができるように・・・と賛美向上の訓練から始まった取り組みだ。

何年越しかで、全曲を練習中だが、題名のごとく「救い主:メサイア」は旧約聖書・新約聖書からみ言葉を引用しての大曲であり、合唱と各パートのソロが入る美しい調べだ。
中でも最も有名なのは、誰でも一度は聞いた事のある曲で2部の終わりに歌われる「ハレルヤ」だろう。
その2部の丁度 真ん中あたりにソプラノのアリアで、ローマ人への手紙10章15節のみ言葉から「How beautiful are the feet of them」という曲がある。短い美しい曲だ。
 
 この聖書箇所が昔から不思議だった。「み言葉を述べ伝える人の足は、なんと美しい」=(訳によっては、「りっぱでしょう」となっている)どうして足なのだろう?と思っていた。「信仰」とか、もしくは口・唇?、目とか表情とか姿、そう・・・例えば「心」とか「魂」・・・ならなんとなくわかる気がするけれど、「足」と書かれているのは、どうしてだろう。 宣教師を派遣する宣教団体に来て奉仕している者でありながら、小さい者の正直な告白なのだ。それが今回のニュース215号の中の松崎主事の記事を読んでいて、このみ言葉の「足」という言葉にやっと納得いく時を得た。そして、最前線で孤高奮闘する宣教師を覚え、この文章に涙が出た。もちろん、様々を祈っているが、こうして具体的な文章になると心に迫る。 多くの方に是非、目を通していただきたいと願う。 
この国にいて、メールやラインでのやり取りに日々簡単に言葉が飛び交い、安価に作成できるチラシやトラクトで福音が届けられ、ニュースレターによって現地での恵み深い宣教活動の知らせが届けられるのは、当たり前だ。また、伝道例会も宣教の為のコンサートやイベントも、日曜日の礼拝でさえ、いらしてください!と誘い、多くの人に来てもらいたいと祈る。だけれども、どんなにか危険な地域では、顔と顔を合わせて伝えに行かなくてはならない。福音を危険と引き換えに伝えに行くという、その地に行かなければできない事、できない場所も多いことを今更ながら覚えさせられる。

この地でも・・私達にも・・、顔と顔を合わせて伝えなくてはいけない人が身近にいるのではないか、と思わされる。(N)

「遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のようにかかれているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。』」
                   ローマ人への手紙10章15節

2016年9月7日水曜日

~ラサへの歩き方~「祈り」の映画

 中国映画 『ラサへの歩き方~祈りの2400km』 を見てきた。 

チベット仏教を信仰しているカム地方の小さな村から総勢11人がグループとなって、生涯に1度は巡礼に行きたいと願う地「ラサ」へ祈りの巡礼の旅に出る。

キリスト教やイスラム教の巡礼の旅と違うのは、彼らは「五体投地」=(全身を地に投げ出して行う最も丁寧な祈りの捧げ方)で、片道1200kmを歩くのだ。いや、、歩くというよりも私の見た感想は、7歩でヘッドスライディングをしながらと言うのが、その祈りのスタイルを紹介するに一番想像しやすい言葉かもしれないと思う。手には、木の板で作ったスリッパのような物をはめ、体の前半分には牛の皮で作った膝下までの大きなエプロンを着る。決まった祈りを唱え歩きながら、頭の上で一度合掌、胸の前で一度合掌、そして全身を地に投げ出しひれ伏し合掌、を繰り返す。そう!その祈りのスタイルを、地面にひれ伏した途端に、また立ち上がってはそこから同じ7歩の祈りの五体投地をしてひたすら歩く。そう!彼らは、1200kmそれを繰り返しながらラサをめざすのだ。

 旅の11人のメンバーには、父を亡くしたばかりで弔いの旅をする男性、生まれてくる子に祝福を望む妊婦、人生を祝福してもらいたいと参加した10歳の女の子。また家畜を屠る仕事をしていて罪悪感に悩まされている男が屠畜の罪を償いたいと旅に参加する。ラサへの理由は、一人一人様々だ。 旅の途中で、妊婦は産気づき新しい命が誕生し、年配の祈り手はある朝、地上での命の時間を終える。彼らは、毎日テントを張り、煮炊きし、毎日寝る前には全員での祈りの時間を持ちと助け合って様々な事を乗り越えていく。彼らの祈りは、個人的な祈りではなく、この地上にある生きとし生けるものへの祈りだ。祈りの映画というので、先に情報を得ることなく全く内容を知らずに見に行った。そして「五体投地」に唖然とし、ずーとその祈りの巡礼を続ける彼らの真摯な思いに圧倒された。アスファルトの道に頭までべったり付ける最初の驚きなど大したことはなく、大雨の後の土砂が流れる川のような道路も、ザバーンと音をたてて体中に泥水を浴びながら五体投地を繰り返す。山道、砂利道、泥道、雪道、凍道、・・・ひたすら、祈りの熱い巡礼の旅が繰り広げられる。もう、途中から美しい中国の景色が目に入らない。

 8月に「祈りの力」というアメリカの映画を見たが、これとは比べられない別の思いになった。また、2014年の夏には、「大いなる沈黙へ~グランド・シャルトルーズ修道院」という映画を見た事も思い出していた。この修道院の映画でも、驚いたことの一つは礼拝堂で体を地面に投げ出しちょっと横座りのような恰好で祈りをささげる修道士たちの姿だった。あれもいわゆる「五体投地」と同じ思いからのスタイルなのだろうか。    結局、ラサへの巡礼の旅は、このスタイルで往復2400kmほとんど1年かけて行われていた。映画を見ながら、祈りのスタイルは違えども、私達キリスト者も、毎日が巡礼の旅。しかし、彼らのように、「いついかなる時も、最初に主にひれ伏し祈りをささげて歩んでいるだろうか?」と祈りへの思いを探られた。そして、ラサへ巡礼の旅に出る彼らを尊重しつつも、主の福音がその地に届けられるようにと祈った。(N) 
 

2016年8月29日月曜日

今年の台風

 今年の台風は、フィリピン沖で発生するのではなく、
太平洋の南の方で発生し、関東・東北・北海道へ向かってきています。
皆様の地では、台風の被害はいかがでしょうか?
今日、明日と上陸する見込みの台風10号の被害が最小限で済むようにお祈りしています。

 沖縄で育ったために、毎年20~30個の台風を経験してきました。
風の強い台風が農作物の収穫の時に重なると、大変な被害になります。数年前には東北でリンゴがダメになり、今年は梨が落ち、メロンが水浸しになったように、沖縄も近年は収穫の時期に重なるとマンゴーが台無しになります。雨の被害は、海が近くにある為か比較的少ない気がしますが・・・

 風速が25メートルを超えると暴風警報が出て、学校や役所が休みになりました。(役所では、防災の担当は、出勤するはず)学生の時は、学校が休みになるので喜びましたが・・
社会人になり、金融機関で仕事をするようになると、どんな台風の中でも職員が交代で出社するのには驚きました。世界のマーケットは動いているのに、沖縄県だけが台風で仕事を休むわけにはいかないと、車で近くの同僚と相乗りをして出勤します。
ある夏、猛烈な台風の中(50mを超える台風でしたが) 国道58号線をゆっくり走り同僚4人を乗せて帰宅したことがありました。50m超える風の中、車の運転をしたのは初めてでしたが・・・
台風の恐ろしい風に車が浮くのを、運転する者はハンドルを握りながら感じ震えていました。大きな主要な道路は、風の通り道になるので本当に怖かった記憶です。そういう事になりたくないからと、ちょっと高台に車を置いて、タクシーに乗り帰宅しようものなら、翌日は車が横転しているかもしれないのを覚悟しないといけません。その被害で、自分の愛車を廃車にした友人もいました。
信仰を持つ前から、台風一つとっても、自分の力ではどうしようもない脅威を知っていました。
人は小さい者で、何もできない暴風の中では、静かにジーと嵐が過ぎ去るのを待つだけです。
明日の台風の中でも、どうぞ数時間の間ですから静かに通り過ぎるのを待つことができますように。人が神様から任された「自然」=「地上の被造物」の苦しんでいる声に耳を澄まし、もっと生活する中で私たちにできることは何なのかを教えられたいと思わされます。

 本来のルートであるフィリピン沖で発生した台風が東シナ海を北上することが無い今年は、南西諸島のサンゴが死んでいます。台風で海水が攪拌されることが無いために、海水温が異常に上昇しているそうです。先週、海の中をグラスボートで見る機会がありましたが、白く死んでしまったサンゴがたくさんありました。再生するサンゴもあるようですが、とても時間がかかる事です。(N)


2016年8月8日月曜日

JOMAセミナーの恵み

多様化する世界宣教

「みんなでミッション」 
7月17日・18日と祝福された集会になりました。

**ご報告とお知らせ**

実行委員は、
委員長がOMF総主事の菅家庄一郎先生
      AOGの林幸司先生
      アンテオケからは、稲垣先生・松崎・高山・関谷

恵みを振り返りつつ参加者の具体的な数字は、
17日のみの参加者は、118名
18日    参加者は、100名

また、18日の昼食の時間に、在日外国人教会の方々との交流も行われました。
 ペルー    8名
 フィリピン  10名
 華人      2名
 ミャンマー   3名


 CGNTVのHP内のニュース「CGN Focus」サイト
#917「JOMAミッションセミナー2016」をクリックしますとご覧頂けます。

あるいはyoutubeの
https://www.youtube.com/watch?v=ByK6vwSOGPw
にもアップしておりますので、ご都合のいい媒体でどうぞ。
(こちらの方が画面も大きく見やすいかと思います)



2016年8月4日木曜日

PTA役員とポケモンGO

今年度、娘の中学校のPTAの役員になってしまい、しかもその部の部長になってしまいました。
部長はとても大変だと聞いておりましたので、くじが当たらないように祈って備えていたのですが、席順から私は最後の一つしか空いていない所に名前を書く羽目になり、そこがまさに「部長」だったのです!
私はこれ以上の仕事量は無理です・・・としばらく呆然としました。「どうして?」「祈ったじゃないですか」とつぶやきました。
でも決まった以上、とにかくやることをやるしかありません。5月、6月は膨大な仕事量でした。たくさんの書類を作りました。たくさんの会合を招集し、部員みんなの意見を取りまとめました。
会合に部長の責任として、現在住んでいる1階にある「教会」を使わせてもらいました。自然と部員さんに「教会に入るのは初めてですか~?」とか聞いたり、話したりしていました。そしてPTAの公式な書類(全職員、全校生徒、保護者)に、会合場所として教会の名前が載っているものが配られました。
そんな時に、一人の部員さんが「教会って移動とかってあるんですか~?」と聞かれて、いろいろ話していたら、「私の主人のお母さんがキリストなんですよ」(←すごい言い方ですが・・・(汗))と。そして更に「親戚に牧師もいるんですよ」と。「何ていう名前ですか?」なんて聞いたら、何と知っている先生ではありませんか!しかもつまりその先生の私のよく知るお子さんたちは、その部員さんのご主人のいとこに当たるわけで、びっくり仰天でした!

その日さっそくよく知るお子さんの一人に連絡したら、彼もビックリ仰天、そして、私は続いて、部員さんとの連絡のやり取りの中で、自然に教会に誘いましたが、この件だけは、返信がきませんでしたが、神様から、とりなしの祈りのバトンを渡されたようでした。

後日談ですが、ポケモンGOの配信の後、「教会がスポットになっているよ」といろいろな人から言われました。ああ良かった、私=教会=あの場所は教会という認識ができてきたんだと思いました。実は教会は、宣教団体の1階にあり、何の建物だろうと思っていた、という声をよく聞いていたのです。十字架が掲げられているし、建物の前に掲示板があるのですが、多くの人はわからなかったようでした。1階は教会ですよ、2階は事務所(宣教団体の本部)ですよ、と説明してきましたが、1階が教会ということが認知されたということです。まずは教会がある、ということを知ってもらえるように、ここ数か月努力してきましたが、PTAの書類とポケモンGOによって知らしめたわけです。

部長になったからこそ、会合を教会で持てて、それがこのようにつながったのだと思います。+αの仕事が増えて多忙にはなりましたが、神様がくださった副産物でした!(K)

嵐のような7月

嵐のような7月が過ぎました。「超多忙」という言葉がぴったりでしたが、一方で「超恵み」でもあった日々でした。
理事会から始まり、中旬にはJOMAセミナー、そして下旬には「リトリート」と大きな行事が続きました。事務局としては、理事会、JOMAセミナー共に、事務局が影に日向に奉仕するものでしたが、リトリートは、参加者としてただ「受け取る」という、これまでにない恵みの時でした。
もちろん奉仕の中にも、たくさんの恵みがあり、特にJOMAセミナーでは、講師の先生、分科会、パネルディスカッションなどを通して、たくさんの教えと示唆をいただき、今神様がなさっている宣教の新しい風にも目が開かれ、また自分の心を点検し、最初の愛に戻って心を新たにさせられ、主に仕えていくことを教えられました。しかし「リトリート」は更に、根本的な「素の私」に焦点が当たられ、講師の心理カウンセラーの先生によって、幼少期からのこれまでの歩みの中で、「傷」を受けたことなどを思い巡らし、それが心の奥深くに巣くう「怒り」になっていることを静まりの中で示されていきました。私は今回のリトリートを通して、全く自分では考えてもいなかったこと、遠い記憶を思い巡らせても思い出せなかったようなことに光が当たられ、「そうか、神様はこの部分を明け渡すように願っていらしたんだ」と思えたのです。

日々、事務局は派遣されている宣教師のために、何が最善かと祈り考え、具体化して支えていくかを考え話し合っているわけですが、時には、自分自身の魂の点検(やっているつもりでしたが)や口渇している自分の赤信号を見逃さずに、「奉仕」する側から「受ける」側になることがいかに大切かと思わされました。

まだまだ自分の中に、主の前に開いていない引き出しがあることを思います。私は全部明けたつもりでした。 でも半分しか開けていない引き出しもあったんだな、と思います。引き出しがあることすら忘れている、という引き出しがまだあるかもしれない。そしてそれは、主の時に、主の優しい恵みの光を当ててくださるために開けてくださるものであり、癒しと回復を与えてくださるためであることを思います。人生という様々なシーズンの中で、主と共に歩みながら、一生かかって開けていく作業をしていくものなのかもしれないと思わされました。(K)

2016年8月1日月曜日

ミッショントリップ

 5月下旬、214号ニュースと共にミッショントリップのチラシをお送りしました。
モンゴルへ8月19日~26日まで、ネパール9月5日~16日までの旅です。

事務局では、広報が少々遅かったのでは・・・との反省と共に、参加してくださる方がいるだろうか?と心配もしていましたが、
どちらも、多くの方のレスポンスがあり、参加者多数の為に早々に申し込みを締め切らせていただきました。
チラシへ締め切りと定員が具体的に記載されていなかった為に、参加のお祈りをしておられた方々には深くお詫びいたします。
また、このようにどちらの国へも関心が高いことに驚き、主の御名をほめたたえました。

モンゴルへは、参加者 10名。
 (坪内宣教師を支える教会の不和師の引率と、現地案内は坪内宣教師)

ネパールは参加者 13名。
 (元ネパール宣教師であり、当宣教会の主事:森敏師の引率)

このミッショントリップに参加される方々の旅の安全と、健康が守られるように。
この旅が、主の導きにより素晴らしい体験となり、多くの恵みと交わりが与えられ、主が与えてくださる豊かな収穫の時となりますように、お祈りください。

参加された方々の声・証を次号(216号予定)に掲載したいと予定しています。
お楽しみに!



2016年2月29日月曜日

JOMA世界宣教セミナー2016

JOMA「海外宣教連絡協力会」が10年ぶりに、世界宣教セミナーを開きます。
「みんなでミッション」=多様化する世界宣教=と題して、キリスト者として一人一人がおかれている場で主の宣教をどう担っていくかを学ぶときになります。
海外へ出かけていかなければできない従来の宣教活動の大切さも学びつつ、現在の日本で、隣人が外国人の方という時、その方へ福音を伝えることでできる海外宣教もあるでしょう。今まで通りの宣教師の活動や働きとは違ったとしても、他の仕事又は事業を展開しながら福音宣教をするスタイルや、留学・駐在・海外へのボランティア活動という渡航のチャンスを通して、一人一人が出会える人への宣教なども分科会の中で学んでいきましょう。多様化する世界の中で、宣教も多様化しています。
 ランチタイムには、日本にある外国人教会の人々との交流も考えています。異文化に触れる機会として、国際交流を楽しみながら私たちのできることを探しませんか?
ご参加をお待ちしています。



2016年2月16日火曜日

静まりへの招き

詩編 46:10 静まって、わたしこそ神であることを知れ。(口語訳)

静まりのリトリートに出かけてきました。
世話しない毎日、朝のデボーションの時間を何とか取分け、祈りも十分にできたと言えないほどになっている自分に、どうにかしないと・・・と焦るばかりでした。
神様は、私に静まりへの時間に導いておられると感じて、リトリートへ申し込みました。

御言葉が読まれ、静かな時間の中でこの半年のことを振り返る大切な時でした。

その後、この集いの素晴らしさを共有したいと思い、学びの集いにも参加しました。
そこでいただいた資料にある「静まる」という言葉の別訳とそれを含んだ意味をご紹介します。

「やめよ(新改訳)」「力を捨てよ(新共同訳)」「立ち止まって」「武装を解いて」「肩の力を抜いて」
「手放して」「じっと待って」「控えて」「休んで」など・・・


何かを(余計な事を)やめて、静まる 
しばし立ち止まって、静まる 
がたがた騒がないで、静まる
握りしめているもの、しがみついているものを手放して、静まる
”私が、僕が”の気負いや、力みを捨てて静まる
じっと待って、静まる
分をわきまえて控えて、静まる
武装を解いて(武器を捨てて)、静まる
肩の力を抜いて、静まる

私たちは、幼いころから
早くやること、頑張ること、走ることは教わっても
休むこと、立ち止まって振り返ること、静まることを教わることはないと・・・

日々の生活の中、静まることの必要を覚えて、「一日の終わりに、今日のことを思い振り返る」
「日曜日の礼拝で、先週のメッセージのみ言葉を思い起こし、1週間を振り返る」
「月に1度、1か月を振り返る」静かな時間を持ちたいと願っています。

静かな中で宣教の主に親しく語っていただき、
御霊の働きを邪魔することなく、ここに置かせていただきたいと祈ります。(N)