2015年1月21日水曜日

聖書の重さ

私は年始に小学校6年の娘と一緒にある国のある街へ、聖書を運びました。それぞれ23キロずつ持っていきました。自分たちの着替えはリュックサックに入れて、下着こそは持って行きましたが、ズボンは履いたものだけ、とにかく身軽に行くことを心掛けました。その分一冊でも多く運びたいと思っていました。私は五十肩で、左肩に痛みを抱えながら、娘は細い体であまり力はないものの、頑張って運びました。しかも途中でバッグの持ち手が重さで壊れてしまい・・・。あぁ、重い、重い・・・!と思いながら、はたと気が付きました。そうです、神の言葉である聖書は重いのです!人の命が重いのはみんなの知るところ。(最近は悲しい事件が多いですが・・・)そうだ、人の人生を変える力のある聖書のみ言葉は重いのだ。こんなに重い思いをして運んで、受け取った彼らはどんなにか、聖書が尊いものであるかを知っている。果たして自分はそこまで重いものだとわかっていただろうか?と思いました。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)このみ言葉も何度も何度も読んだことがあります。彼らは何よりも聖書を運んでくれることが嬉しい、と言います。マルタとマリヤの話しにあるように、マリヤのようにイエス様のひざ元でみ言葉を聞き入る者になりたいと改めて思いました。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。・・・」(ルカ10;41.42)本当に一つだけだな、と身を持って教えられた旅となりました。娘もたくさんの人に行ってほしいね、私もまた3,4年後に運びたい、と喜んで帰ってきました。(K,T)