2020年3月6日金曜日

脱!「タコツボ」

アンテオケ宣教会NEWSの229号はお手元に届いたでしょうか?
いつもお祈りとご支援をありがとうございます


NEWSの事務局便りに少し書いたことについてですが

浦和にある事務所には、様々な方が来られます
デピュテーション(宣教報告)のため帰国した宣教師
元宣教師、宣教師志願者
他の宣教団体の方
世界宣教に関心のある方
発送作業などのボランティアをしてくださる方
等々…

そしてお話しをする中で
世界宣教と日本宣教について考えたり、疑問に感じたり 
意見交換をすることもあります

脱「タコツボ」という言葉は、その中で出てきました

欧米と対比して日本の文化や組織の特徴を、思想家の丸山真男が「タコツボ」型と名づけたそうです

タコツボは、それぞれに孤立した壺が一本の綱で並列的に連なっています
共通の根を切り捨てた形で専門が分かれ、それぞれ仲間集団が「タコツボ」をつくり
相互間の意志疎通が困難になる様子と似ています
各「タコツボ」の中で特殊な文化が煮詰まって、中にいる人たちには居心地の良い空間になりますが
「オタク」化、「ガラパゴス」化、「カルト」化していくこともあります

今、誰もが感じている閉塞感
その原因の一つが「タコツボ」なのかもしれないと思います


新型肺炎の拡大に伴って、見えてきたものもあります
終息を願うとともに、目を覚まして世界を知り、焦点の定まった祈りをしていきたいと願っています



今日はこのへんで…
(SS)

2019年12月27日金曜日

今年もお世話になりました

2019年今年もお世話になりました!
すっかりブログの更新が遅くなりました。
私たちアンテオケの事務局は今年度、大きな変革があり、ブログまで手がつけられない状況でした。今年の一字として「多」があげられると思います。
・総主事就任
・全国出張キャンペーン開始
・アンテオケを覚える日開始
・リクルート
・面談
・セミナー
・トリップ
・サポーターズ

・・・・・まだまだいろいろなことがありました。
しかし何よりも感謝なことは、どの宣教師も、また私たち事務局も、主事、理事たちも、みんな元気に守られたことです。
そして何よりも、変わらず祈ってくださる諸教会、個々人の皆様のお祈りとご支援によって、宣教会が支えられておりますこと、感謝に堪えません。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。
私たち事務局も祈り合いながら、一つ一つのことを行っていく次第です。
どうぞ引き続き、アンテオケのためにお祈りください。
皆様の上に主の恵みと祝福をお祈りしています!!!
(KT)

2017年6月5日月曜日

LINEデビュー

 海外への赴任が決まり、3度目の駐在だからか?どうしても日本から持っていきたいもののリストに多くの必要がなくなった。ただ一つ心に思うのは、もうすぐ80になる両親との☎の事だった。
 最初の駐在は今から22年前で、当時は国際電話は高額だったためにFAXで手紙のやり取りができるのは画期的なことだった。エアーメールを待たなくても、海外と瞬時に文章のやり取りができるFAXは友人や両親との通信手段として大切なものだった。
それから7年も経たない2度目の駐在では、コンピューターが1家に1台の時代になり現地で日本のコンピューターを購入し、Eメールでのやり取りが始まった。当時、まだ70になったばかりの父も孫の写真ほしさに、公共のパソコン教室に通い機械を購入して、添付ファイルで写真のやり取りをした。また若かった両親は、欧州まで旅行に来ては自分たちでデジタル写真を撮っては帰っていった。
 さて最初の赴任から20年がたって、3度目の今 両親は使わなくなったパソコンを処分し、時々☎で話すぐらいで十分になったようだ。また、孫も大きくなり親の付き添いが無くても祖父母に会いに行ってくれるようになった。しかし、また私たちが海外に暮らすことになると国内と同様に携帯でかけ放題プランというわけにはいかない。さて、どうしたものか?
自分自身はどうかといえば、パソコンメールのやり取りよりも最近はラインで気軽に絵文字を送ったり、スカイプやラインの無料電話で海外の友人と連絡を取り合い、祈祷会をしたりしている。やはりこれを使ってもらうように教えてこよう!と帰省に際して格安スマホを譲ってもらい、シムカードを入れラインのアプリも整えて持って行った。80歳を前にしても、ラインのやり取りはお手軽でとても喜んで使ってくれている。毎日、日記の代わりに昨日は何があったか?出来事や食事内容を聞き、応答の文字入力もできるように練習した。私や孫たちが写真を送ったり、近況報告をするのを楽しみにスマホに向かうようだ。指を動かし、いつもと違うことをするのは、脳の活性化になったかな?毎日の楽しみが増えて、何より海外でも無料通話ができるのは感謝!海外赴任という「もう会えないのか」という淋しさもどこかに消えてしまったようだ。今年の父母の日のプレゼントは、花やシャツではなくて「格安スマホ」という品になった。時代の変化にどうにか間に合ったかな(N)

2017年5月15日月曜日

沖縄の本土復帰45年

 2017年5月15日沖縄が本土へ復帰し45年を迎える。年がばれてしまうけれど、私が小学校1年に上がったばかりで、学校から沢山の文房具や食べ物をもらって帰った記憶があり、この日の事はよく覚えている。ノート・鉛筆はもちろん沢山の文房具が小さな1年生には重かったが、中でも一番うれしかったのは、にこにこバッチ😊だった。黄色の缶バッチは、小学生の低学年には憧れの高級品だったので欲しいと思うような品物でもなかったけれど、米軍が「子供たちに」と支給したのではないかと思う。また、記憶が正しければ同じように支給品として脱脂粉乳の箱も持たされた。1リットルの牛乳パック程あったかな?と思うけれど、重かったし、好きではない脱脂粉乳をもらったので嫌な思いと一緒に記憶に焼き付いた。当時、沖縄本島で暮らし小学校へ上がる前の幼馴染はお隣のアメリカ人の子供だった。パーリーとジョージとは、母親が日本人だったので日本語でおしゃべりし毎日遊んだ。外人住宅に暮らしていたこともあり、周りはみんなアメリカ人のお宅で軍関係者だった。幼稚園児の私は、休日になるとお隣のアメリカ人家族に便乗し軍施設へよく遊びに連れて行ってもらった。大きなアイスクリームや大量のチョコレートと驚く体験は忘れることはない。また1セントで駄菓子屋の大きな飴玉が2個買えたのも覚えている。当時1ドルはとても価値があったそうで、高校生だった従兄弟の話だと「1ドルを持ってカップルで映画を見に行き、帰りにコーヒーを飲んでもおつりが来た」とのこと。それでも1ドルが380円の時代だから、沖縄は貧しかったと両親は話す。小学校に上がり、復帰してからは学校の友達と遊ぶようになり、気が付いたら周りからアメリカ人が居なくなっていた。昔住んでいた浦添市周辺の基地はだいぶ返還されたけれど、中部や北部に向かう車の中からみる風景は30年たってもあまり変わらず、その変わらないことに驚く。異文化がいつもすぐ側にあり大きな影響を受けるという事は、沖縄独自の文化を大切にすることも同時に教えられた。大人達は、戦争体験を経て自分の愛する自国の文化や習慣が変えられようとする大きな力の中、日々の生活でどんなことを体験し、どんな思いで戦後を過ごしたのだろう。世代が代わり、そのうち戦争体験者が沖縄からもいなくなる日がやってくる。(N)

2017年5月1日月曜日

ヨーロッパキリスト者の集い

 毎年恒例のヨーロッパキリスト者の集い第34回は、今年も夏に行われます。ドイツのライプツィヒにて、8月3日~6日の第一日曜日を参加者全員で礼拝を捧げて終えます。280名の応募予定に、参加申込者が320名となる大盛況となりました。それはなんといっても、今年が宗教改革500周年となる記念の年でありドイツという開催場所も魅力なのでしょう。3年前にこの予定が決まった時には、すでにルターが95か条の提題を掲げたヴィッテンベルグにあるホテルは世界中から集まるプロテスタントでいっぱいだったとのことで、今年がどんなメモリアルイヤーになるか楽しみです。
 集会2日目には、ライプツィヒにあるバッハが生涯の後半をオルガニスト兼指揮者として過ごしたトーマス教会を借りて「賛美礼拝」も持たれます。もちろん、参加者の中から聖歌隊が結成され、賛美とオルガンと素晴らしい楽器演奏にカンタータの調べ会衆賛美と本当に贅沢な集会が予定されています。今から素晴らしい賛美者たちと、ルターやバッハの居た、かの地で「神はわがやぐら」を会衆賛美として捧げることができると、とても楽しみにしています。
 また今回の集いの分科会は盛りだくさんです。ドイツならではの「難民問題を考える」また難民として迎えたムスリムの人々を隣人としてどう関わっていくのか?の分科会もあります。もちろん、今までと同じく信仰継承の事や、帰国して日本の教会にどう仕えていくかも変わらぬテーマでもあります。もっと欧州の日本語教会の抱える問題や悩みを日本の教会と分かち合えたら!と願います。きっと時差があったとしても、これからの日本の教会が迎える問題だと思うからです。SNSやスカイプで近くなった世界にあって、この難しい時代を生き、主に仕える大切な使命を考える機会になればと祈ります。(N)

2017年4月21日金曜日

ラインスタンプ

 浦和福音自由教会の高校生たちが、ラインスタンプを作成しました。
全部で40種類でスタンプの名称は
   「ロバのじゅーじ君とてんしちゃんスタンプ」 
http://line.me/R/shop/detail/1415238

今どきのネットツールを使って、子供達が宣教の大きな助けになるのではと発案し、主人公を「ロバと天使」と決めて、絵になりそうな聖書箇所を探し、またデザインもして作成したようです。作成段階の分かち合いや試行錯誤もとても楽しかったと聞きました。また教会の許可を得るために、組織の中で必要な一つ一つを教会スタッフのお兄さんお姉さん達と共に果たし、長い時間をかけて世に出しました。やっとラインに実際登場した日は、我が家でも大騒ぎで教会のライン友達に紹介してスタンプを送りました。中でも一番うれしかった出来事は、この春から大学に進学し、このスタンプの一つを作成した息子が、仲良しの友人に紹介したらなんと!購入して使ってくれているというのです。
「狭い門から入りなさい」これってどういう意味で、この絵になってるの?とか
「豚に真珠」の豚が真珠を持ってい絵の説明とか、ラクダが小さな針の穴を覗いている絵で「ちょっと無理」とか・・・、これらの絵の意味を友人同士の何気ない会話の中で、聖書の話をしながら福音を友人に語る「きっかけ」になればと願って作成されたスタンプなのだろうな~と思います。それもあって、友人のK君がこのスタンプを購入してくれただけでも、大喜び!で我が家の食卓でも話題になりました。K君の為に、救いを祈っています。(N)

2017年4月17日月曜日

宣教訓練の第一歩

昨年若くして同い年同士で結婚した次女夫妻が、先週の火曜日にニュージーランドへ旅立った。目的は「宣教訓練生」として、次女のご主人の叔父であるS師一家の家で一緒に住み、彼の牧会する日本人教会で奉仕し、訓練してもらうためだ。
娘はお付き合いを決める時も、その後結婚を決める時も、いつも「宣教」ということに引っかかり、その度に祈らされてきた。
MK(宣教師子弟)として育った娘は、「宣教」とか「献身」ということにうんざりしていたし、もう自分はそれとは関係ない道に進みたいと願っていた。そんな次女が、米国に留学していたある時に神様からの召しを受けて、「もう逃れられない。わかりました。従います。」と祈っていた頃に時を同じくして、日本で彼にも召しが与えられた。実は、彼にとって、宣教への召しが与えられたということは、今ようやくお付き合いしている次女を失うことだと思ったという。実は彼は、次女が中3の時にロシアから帰国してチャーチスクールに入学した時に一目惚れして、ずっと長い期間、告白もせずにその思いを温め、祈ってきた。ようやく大学生になって告白し、一度は振られたものの、再チャレンジし、お付き合いができたが、留学中の次女とは、すぐに遠距離恋愛。それでもスカイプで、メールでコミュニケーションを図りつつ、交際半年目、という時の「召し」だったというのだ。彼はすでに次女から何度も、召しが別々なら別々の道に進むことになる、と聞かされてきたので、自分が「献身」の道を進むなら、次女を失うことになる、と思ったそうだ。それでも神様の召しに従うことを選び、別れを覚悟で、「実は・・・」と神妙な面持ちでスカイプで話しを切り出したら、次女も「私も明確な召しを受け取った」と話し、二人はそれから3年後に「結婚」に導かれた。
若い二人の新しい生活が始まったが、そもそも若い二人が結婚できたのは、彼の会社の社宅に住むことができたからだ。広々とした2LDKのマンションで、対面キッチンやウォークインクローゼットまである素敵な部屋。しかも周辺の住宅の中では一番高く見晴らしも良い。しかし、そのゆったりした新婚生活がまだ一年も経たぬうちに、宣教訓練にと会社を辞めることになった。クタクタになりながら、数か月前に広げたものをたたみ、使ってもらえるものは方々へ差し上げ、スーツケース一つで出て行った。
そんな次女夫妻を見ながら、自分たちの若い頃を思い出していた。何度引っ越ししたことか・・・。何度諦めなければならない思いをしてきたか・・・。物に執着しないようにと言い聞かせてきたか・・・。
「宣教訓練の第一歩」はまさに引っ越しからだとつくづく思う。
あと一年だって二年だって、普通に会社で働いて、素敵な社宅に住むこともできたのに。でも彼らは知っている。それ以上に勝る、主の大いなることに期待しているし、そんな労苦は愛する主のために捧げることは、当たり前だと思っているということを。
そう、母はこれからの主の訓練に期待しています。砕かれて砕かれて、謙遜な僕としての働き人になっていってください。
涙を見せずに、笑顔で送り出した。(KT)