2017年6月5日月曜日

LINEデビュー

 海外への赴任が決まり、3度目の駐在だからか?どうしても日本から持っていきたいもののリストに多くの必要がなくなった。ただ一つ心に思うのは、もうすぐ80になる両親との☎の事だった。
 最初の駐在は今から22年前で、当時は国際電話は高額だったためにFAXで手紙のやり取りができるのは画期的なことだった。エアーメールを待たなくても、海外と瞬時に文章のやり取りができるFAXは友人や両親との通信手段として大切なものだった。
それから7年も経たない2度目の駐在では、コンピューターが1家に1台の時代になり現地で日本のコンピューターを購入し、Eメールでのやり取りが始まった。当時、まだ70になったばかりの父も孫の写真ほしさに、公共のパソコン教室に通い機械を購入して、添付ファイルで写真のやり取りをした。また若かった両親は、欧州まで旅行に来ては自分たちでデジタル写真を撮っては帰っていった。
 さて最初の赴任から20年がたって、3度目の今 両親は使わなくなったパソコンを処分し、時々☎で話すぐらいで十分になったようだ。また、孫も大きくなり親の付き添いが無くても祖父母に会いに行ってくれるようになった。しかし、また私たちが海外に暮らすことになると国内と同様に携帯でかけ放題プランというわけにはいかない。さて、どうしたものか?
自分自身はどうかといえば、パソコンメールのやり取りよりも最近はラインで気軽に絵文字を送ったり、スカイプやラインの無料電話で海外の友人と連絡を取り合い、祈祷会をしたりしている。やはりこれを使ってもらうように教えてこよう!と帰省に際して格安スマホを譲ってもらい、シムカードを入れラインのアプリも整えて持って行った。80歳を前にしても、ラインのやり取りはお手軽でとても喜んで使ってくれている。毎日、日記の代わりに昨日は何があったか?出来事や食事内容を聞き、応答の文字入力もできるように練習した。私や孫たちが写真を送ったり、近況報告をするのを楽しみにスマホに向かうようだ。指を動かし、いつもと違うことをするのは、脳の活性化になったかな?毎日の楽しみが増えて、何より海外でも無料通話ができるのは感謝!海外赴任という「もう会えないのか」という淋しさもどこかに消えてしまったようだ。今年の父母の日のプレゼントは、花やシャツではなくて「格安スマホ」という品になった。時代の変化にどうにか間に合ったかな(N)

2017年5月15日月曜日

沖縄の本土復帰45年

 2017年5月15日沖縄が本土へ復帰し45年を迎える。年がばれてしまうけれど、私が小学校1年に上がったばかりで、学校から沢山の文房具や食べ物をもらって帰った記憶があり、この日の事はよく覚えている。ノート・鉛筆はもちろん沢山の文房具が小さな1年生には重かったが、中でも一番うれしかったのは、にこにこバッチ😊だった。黄色の缶バッチは、小学生の低学年には憧れの高級品だったので欲しいと思うような品物でもなかったけれど、米軍が「子供たちに」と支給したのではないかと思う。また、記憶が正しければ同じように支給品として脱脂粉乳の箱も持たされた。1リットルの牛乳パック程あったかな?と思うけれど、重かったし、好きではない脱脂粉乳をもらったので嫌な思いと一緒に記憶に焼き付いた。当時、沖縄本島で暮らし小学校へ上がる前の幼馴染はお隣のアメリカ人の子供だった。パーリーとジョージとは、母親が日本人だったので日本語でおしゃべりし毎日遊んだ。外人住宅に暮らしていたこともあり、周りはみんなアメリカ人のお宅で軍関係者だった。幼稚園児の私は、休日になるとお隣のアメリカ人家族に便乗し軍施設へよく遊びに連れて行ってもらった。大きなアイスクリームや大量のチョコレートと驚く体験は忘れることはない。また1セントで駄菓子屋の大きな飴玉が2個買えたのも覚えている。当時1ドルはとても価値があったそうで、高校生だった従兄弟の話だと「1ドルを持ってカップルで映画を見に行き、帰りにコーヒーを飲んでもおつりが来た」とのこと。それでも1ドルが380円の時代だから、沖縄は貧しかったと両親は話す。小学校に上がり、復帰してからは学校の友達と遊ぶようになり、気が付いたら周りからアメリカ人が居なくなっていた。昔住んでいた浦添市周辺の基地はだいぶ返還されたけれど、中部や北部に向かう車の中からみる風景は30年たってもあまり変わらず、その変わらないことに驚く。異文化がいつもすぐ側にあり大きな影響を受けるという事は、沖縄独自の文化を大切にすることも同時に教えられた。大人達は、戦争体験を経て自分の愛する自国の文化や習慣が変えられようとする大きな力の中、日々の生活でどんなことを体験し、どんな思いで戦後を過ごしたのだろう。世代が代わり、そのうち戦争体験者が沖縄からもいなくなる日がやってくる。(N)

2017年5月1日月曜日

ヨーロッパキリスト者の集い

 毎年恒例のヨーロッパキリスト者の集い第34回は、今年も夏に行われます。ドイツのライプツィヒにて、8月3日~6日の第一日曜日を参加者全員で礼拝を捧げて終えます。280名の応募予定に、参加申込者が320名となる大盛況となりました。それはなんといっても、今年が宗教改革500周年となる記念の年でありドイツという開催場所も魅力なのでしょう。3年前にこの予定が決まった時には、すでにルターが95か条の提題を掲げたヴィッテンベルグにあるホテルは世界中から集まるプロテスタントでいっぱいだったとのことで、今年がどんなメモリアルイヤーになるか楽しみです。
 集会2日目には、ライプツィヒにあるバッハが生涯の後半をオルガニスト兼指揮者として過ごしたトーマス教会を借りて「賛美礼拝」も持たれます。もちろん、参加者の中から聖歌隊が結成され、賛美とオルガンと素晴らしい楽器演奏にカンタータの調べ会衆賛美と本当に贅沢な集会が予定されています。今から素晴らしい賛美者たちと、ルターやバッハの居た、かの地で「神はわがやぐら」を会衆賛美として捧げることができると、とても楽しみにしています。
 また今回の集いの分科会は盛りだくさんです。ドイツならではの「難民問題を考える」また難民として迎えたムスリムの人々を隣人としてどう関わっていくのか?の分科会もあります。もちろん、今までと同じく信仰継承の事や、帰国して日本の教会にどう仕えていくかも変わらぬテーマでもあります。もっと欧州の日本語教会の抱える問題や悩みを日本の教会と分かち合えたら!と願います。きっと時差があったとしても、これからの日本の教会が迎える問題だと思うからです。SNSやスカイプで近くなった世界にあって、この難しい時代を生き、主に仕える大切な使命を考える機会になればと祈ります。(N)

2017年4月21日金曜日

ラインスタンプ

 浦和福音自由教会の高校生たちが、ラインスタンプを作成しました。
全部で40種類でスタンプの名称は
   「ロバのじゅーじ君とてんしちゃんスタンプ」 
http://line.me/R/shop/detail/1415238

今どきのネットツールを使って、子供達が宣教の大きな助けになるのではと発案し、主人公を「ロバと天使」と決めて、絵になりそうな聖書箇所を探し、またデザインもして作成したようです。作成段階の分かち合いや試行錯誤もとても楽しかったと聞きました。また教会の許可を得るために、組織の中で必要な一つ一つを教会スタッフのお兄さんお姉さん達と共に果たし、長い時間をかけて世に出しました。やっとラインに実際登場した日は、我が家でも大騒ぎで教会のライン友達に紹介してスタンプを送りました。中でも一番うれしかった出来事は、この春から大学に進学し、このスタンプの一つを作成した息子が、仲良しの友人に紹介したらなんと!購入して使ってくれているというのです。
「狭い門から入りなさい」これってどういう意味で、この絵になってるの?とか
「豚に真珠」の豚が真珠を持ってい絵の説明とか、ラクダが小さな針の穴を覗いている絵で「ちょっと無理」とか・・・、これらの絵の意味を友人同士の何気ない会話の中で、聖書の話をしながら福音を友人に語る「きっかけ」になればと願って作成されたスタンプなのだろうな~と思います。それもあって、友人のK君がこのスタンプを購入してくれただけでも、大喜び!で我が家の食卓でも話題になりました。K君の為に、救いを祈っています。(N)

2017年4月17日月曜日

宣教訓練の第一歩

昨年若くして同い年同士で結婚した次女夫妻が、先週の火曜日にニュージーランドへ旅立った。目的は「宣教訓練生」として、次女のご主人の叔父であるS師一家の家で一緒に住み、彼の牧会する日本人教会で奉仕し、訓練してもらうためだ。
娘はお付き合いを決める時も、その後結婚を決める時も、いつも「宣教」ということに引っかかり、その度に祈らされてきた。
MK(宣教師子弟)として育った娘は、「宣教」とか「献身」ということにうんざりしていたし、もう自分はそれとは関係ない道に進みたいと願っていた。そんな次女が、米国に留学していたある時に神様からの召しを受けて、「もう逃れられない。わかりました。従います。」と祈っていた頃に時を同じくして、日本で彼にも召しが与えられた。実は、彼にとって、宣教への召しが与えられたということは、今ようやくお付き合いしている次女を失うことだと思ったという。実は彼は、次女が中3の時にロシアから帰国してチャーチスクールに入学した時に一目惚れして、ずっと長い期間、告白もせずにその思いを温め、祈ってきた。ようやく大学生になって告白し、一度は振られたものの、再チャレンジし、お付き合いができたが、留学中の次女とは、すぐに遠距離恋愛。それでもスカイプで、メールでコミュニケーションを図りつつ、交際半年目、という時の「召し」だったというのだ。彼はすでに次女から何度も、召しが別々なら別々の道に進むことになる、と聞かされてきたので、自分が「献身」の道を進むなら、次女を失うことになる、と思ったそうだ。それでも神様の召しに従うことを選び、別れを覚悟で、「実は・・・」と神妙な面持ちでスカイプで話しを切り出したら、次女も「私も明確な召しを受け取った」と話し、二人はそれから3年後に「結婚」に導かれた。
若い二人の新しい生活が始まったが、そもそも若い二人が結婚できたのは、彼の会社の社宅に住むことができたからだ。広々とした2LDKのマンションで、対面キッチンやウォークインクローゼットまである素敵な部屋。しかも周辺の住宅の中では一番高く見晴らしも良い。しかし、そのゆったりした新婚生活がまだ一年も経たぬうちに、宣教訓練にと会社を辞めることになった。クタクタになりながら、数か月前に広げたものをたたみ、使ってもらえるものは方々へ差し上げ、スーツケース一つで出て行った。
そんな次女夫妻を見ながら、自分たちの若い頃を思い出していた。何度引っ越ししたことか・・・。何度諦めなければならない思いをしてきたか・・・。物に執着しないようにと言い聞かせてきたか・・・。
「宣教訓練の第一歩」はまさに引っ越しからだとつくづく思う。
あと一年だって二年だって、普通に会社で働いて、素敵な社宅に住むこともできたのに。でも彼らは知っている。それ以上に勝る、主の大いなることに期待しているし、そんな労苦は愛する主のために捧げることは、当たり前だと思っているということを。
そう、母はこれからの主の訓練に期待しています。砕かれて砕かれて、謙遜な僕としての働き人になっていってください。
涙を見せずに、笑顔で送り出した。(KT)

2017年3月24日金曜日

送別会で

 きょうは、あと1週間でアンテオケ事務局を去ることになった小生の送別会ということで、浦和にあるホテルの19階のレストランで事務局主事の方々とフレンチのランチをともにさせていただいた。特別に前総主事の安海靖郎先生も同席され、久しぶりにいろいろな話に花が咲いた。
 安海先生は今も毎年数度インドネシアに行って、特にインドネシアの諸教会が世界宣教の働きに力を入れるように励まし続けておられる。5年前に「ワールドバートナーズ」という世界宣教団体がアンテオケ宣教会をモデルにして立ち上げることを助けられ、今、この団体は世界宣教の啓発、ネットワーキング、訓練、派遣の働きに大いに用いられている様子をきょうもうかがうことができた。すでにインド、フィリピン、ミャンマー、トルコ、アフリカ、パキスタン、タイ、ブータン、バングラデシュに9組の宣教師を派遣しており、さらに今年も新たに4人の宣教師を派遣することになっているとのこと。
 安海先生の話で印象的だったのは、その「ワールドパートナーズ」などにより、インドネシア各地の教会で世界宣教の重要性についての学びが盛んにおこなわれていることだった。その学びのために用いられているのは、「カイロス」と呼ばれる聖書に基づく世界宣教についてのコースである。これを学んだクリスチャンの多くは、世界宣教への動機づけが明確になり、様々な形で世界宣教に関わるようになっている。
 日本でも小さな規模でそのコースの学びがなされているが、種々の制限があって広がるに至っていない。何とか、このカイロス・コースが多くの方々が参加できるものになるように祈らされている。(gaki)

2017年3月6日月曜日

ローマ法王

 イタリアに卒業旅行へ出かけていた娘から、旅の心配をする親に数日おきに観光地で撮った写真が送られてきた。中でも驚いたのは、「ローマ法王に会っちゃいました」となんだか呑気な表題つきでのラインの動画だった。
 4人の女子大学生の旅は、クライマックスにバチカン市国へ出かけたようだが、彼らは入場規制がされる中、しかも入口で整理券が配られていた気配もするりと抜けて中に入り大勢の様々な言語が飛び交う人波をかき分け空いている椅子に座った。4人で渡れば怖くない?この図々しさに驚くけれど、彼らは「いったいこの広場にこんなに沢山の人たちが集まって何が始まるのだろうか?」と思っていたようだ。しばらくすると、ローマ法王が小さな一人乗りの電気自動車のような車に立ち乗り、歓喜の花道をやってきた。
娘が送ってきたその動画をカトリックの信者の友人にラインで転送すると、この出来事に説明をしてくださった。周りにいる方々は世界中から法王に会うために、それぞれの国から申し込みをし当選したほんの一握りの方々で、目の前を通られる1分ぐらいの為にいろいろな準備をして祈ってやってきているのだそうだ。
4人の日本の娘たちは、申し込みもせず整理券も取らず、どこかの国のどなたかの予約席に何も知らずに座り旅の疲れを癒していたら、なんと周りのご婦人や紳士たちが喚起する中、気が付いたら「法王に出会えた」というわけだ。なんてことでしょう!!
まして、うちの娘ときたら座っていた椅子の隣に立っておられた優しそうな老婦人に、「あなたは、背が小さいのだからその椅子に乗ってビデオは撮ったらいいのよ!」と言われ、彼女はとっさに椅子の上に立って動画撮影に臨んだ。お恥ずかしいことです。。。
帰国後、一部始終を聞きあきれる母の「その婦人は、一体どこの国の方で、何語だったの?」の質問に「わからない(笑)ジェスチャー付きだったから、きっとそう言われているのだろうと思って」=旅の恥はかき捨て= 優しいカトリックの方々でよかったね。
憐れみ深い主よ、旅の思い出をありがとうございました。(N)

2017年2月6日月曜日

やぎさん郵便

 2016年も無事に聖書通読を終えた。1年で聖書を1回だけだが、通読するようになって8年がたった。よく巷で言われているのは、一日4章読むと1年で通読できるという事。8年前通読を始めるにあたってどれだけの章があるのか、聖書を調べてみた。新改訳聖書の旧約聖書は929章、新約聖書は260章ある。合計すると1189章、一日4章ずつ読むと298日で通読が終了する予定だ。カレンダーに置き換えると、元旦から毎日4章読み始めて、9月半ばというところだ。単純に1189章を365日で割ると3・25章になる。4章読める日もあれば、3章読める日もある・・でいいのかな?と気楽に始めた。最初の2年は、創世記から出エジプト・・と一枚一枚ページをめくって通読していたが、年間を通して毎月同じ個所を読むのか~と思い始め、3年目に読んでいない箇所を確認できるようにと、自分なりの一覧表を作成した。そして、その年から読んだ章をマーカーで塗りつぶすようにした。クリスチャン的に言うと、「示された所を読む」なんて、かっこいいことを言ってみたいけれどあまり感度良好なアンテナを持ち合わせているとも思えないので、礼拝で語られる箇所に合わせて読んでみたりした。また、詩篇は150篇あることを表を作成するときに改めて気づき、ある年は夏休み8月の1か月間で毎日毎朝5篇を朗読した。声に出して、詩篇を朗読することの素晴らしさに心も魂も癒された。そして、なぜか?31日目に詩篇の通読が終わった(笑)このぐらいのアバウトさが、8年続いた心地よさかと思っている。
昨年、いつにもまして忙しさの中なんとか12月クリスマスの頃に通読を終えられたが、それから年が明けるまで1年を思い巡らし、毎日毎日聖書のみ言葉を読めたのはよかったけれど、果たして神様からのメッセージをしっかりと受け取れたのだろうか?と自身を顧みた。そして、ふと動揺の「やぎさん郵便」が思い出された。
    「白やぎさんからお手紙ついた。
     黒やぎさんたら、読まずに食べた。
     仕方がないので、お手紙書いた
     『さっきの手紙の御用時なあに』」 まどみちお詩
白やぎさんの神様は、私にせっせとメッセージを送っているのに、私は毎日ただただせっせとそれを食べるだけに必死で、何が書かれているのか?よくわかっていない中、これまた一生懸命に「主よ、あなたに何を捧げたらいいでしょうか?今日のご用は何ですか?」と祈っていたのではないか?と思わされ苦笑した。(きっと神様も呆れておられたでしょうね・・・)
さて、それでも懲りずに今年もまた通読を始めている。多忙の中にあっても、今年は黒やぎさんなりにお手紙は心して拝読してからいただこうとおもっている。(N)

2017年1月16日月曜日

本当の優しさ

 2017年元旦、聖日の礼拝を献げ新年を恵みの内に静かに迎えることができた。翌日から休みの間ゆっくり過ごすはずだったが、次の週の奉仕に向けて1通のメールが入り、その週のスケジュールが変更に次ぐ変更となった。また私に都合の悪いその知らせは、心に波風を立たせ主の前に「できません」と「やりたくありません」を新年から代わる代わるに申し上げることとなった。結局、祈りというか不信仰な思いを聞いてくださった主は、最初の予定に戻してくださって、日曜日を迎えたのだが・・・結果は、私の思った通りの最善のご奉仕をお献げすることはできなかった。準備した内容が悪かったのか?体調を最善に整えることができなかったからか?自分自身の課したハードルが高かったのか?どうにも納得のいくものではなかった。要は失敗した!と思ったのだ。
 翌日、年末から続く心の疲れを引きずって「静まりの会」へ出かけた。そこでお交わりをしてくださった方から、ある一冊の本を紹介してもらった。
    「自閉症の僕が跳びはねる理由」 東田直樹著
帰り道、本屋に飛び込んで購入し早速読んだ。そして彼の繊細だけれど、自由な心に触れてとても慰められた。ひとつ、中のお話しを紹介したい。
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  ずるっと滑った
「みんなの中で、一番足が速いのは私よ」ピョコピョコ、ウサギが言いました。
「大昔に勝負して、僕だって決まったはずでしょ」カメが、不機嫌そうに答えます。
「そんなこと、どうでもいいよ」他の動物たちは、気にしていません。
それでもウサギはどうしても、もう一回競争したいと言い張ります。
カメは仕方なく、スタートラインに立ちました。ウサギとカメの競争です。
「ヨーイ、ドン」
ウサギは猛烈に走り出しました。
カメは、ずるっと滑って、ひっくり返ってしまいました。
みんながカメを心配して駆け寄りました。
「大丈夫?」「帰って休んだ方がいいよ」
カメはみんなに抱きかかえられて、家に帰りました。
ウサギがたどり着いたゴールには、誰もいませんでした。
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 滑った私を主は、周りにいる優しい方を用いて慰め、励まして下さり、また大切なことを教えてくださった。東田君の言葉にもう一つ、「本当の優しさというのは、相手の自尊心を傷つけないことだと思う」と読んだときに、滑った奉仕にも感謝を献げることができた。(N)