2017年4月21日金曜日

ラインスタンプ

 浦和福音自由教会の高校生たちが、ラインスタンプを作成しました。
全部で40種類でスタンプの名称は
   「ロバのじゅーじ君とてんしちゃんスタンプ」 
http://line.me/R/shop/detail/1415238

今どきのネットツールを使って、子供達が宣教の大きな助けになるのではと発案し、主人公を「ロバと天使」と決めて、絵になりそうな聖書箇所を探し、またデザインもして作成したようです。作成段階の分かち合いや試行錯誤もとても楽しかったと聞きました。また教会の許可を得るために、組織の中で必要な一つ一つを教会スタッフのお兄さんお姉さん達と共に果たし、長い時間をかけて世に出しました。やっとラインに実際登場した日は、我が家でも大騒ぎで教会のライン友達に紹介してスタンプを送りました。中でも一番うれしかった出来事は、この春から大学に進学し、このスタンプの一つを作成した息子が、仲良しの友人に紹介したらなんと!購入して使ってくれているというのです。
「狭い門から入りなさい」これってどういう意味で、この絵になってるの?とか
「豚に真珠」の豚が真珠を持ってい絵の説明とか、ラクダが小さな針の穴を覗いている絵で「ちょっと無理」とか・・・、これらの絵の意味を友人同士の何気ない会話の中で、聖書の話をしながら福音を友人に語る「きっかけ」になればと願って作成されたスタンプなのだろうな~と思います。それもあって、友人のK君がこのスタンプを購入してくれただけでも、大喜び!で我が家の食卓でも話題になりました。K君の為に、救いを祈っています。(N)

2017年4月17日月曜日

宣教訓練の第一歩

昨年若くして同い年同士で結婚した次女夫妻が、先週の火曜日にニュージーランドへ旅立った。目的は「宣教訓練生」として、次女のご主人の叔父であるS師一家の家で一緒に住み、彼の牧会する日本人教会で奉仕し、訓練してもらうためだ。
娘はお付き合いを決める時も、その後結婚を決める時も、いつも「宣教」ということに引っかかり、その度に祈らされてきた。
MK(宣教師子弟)として育った娘は、「宣教」とか「献身」ということにうんざりしていたし、もう自分はそれとは関係ない道に進みたいと願っていた。そんな次女が、米国に留学していたある時に神様からの召しを受けて、「もう逃れられない。わかりました。従います。」と祈っていた頃に時を同じくして、日本で彼にも召しが与えられた。実は、彼にとって、宣教への召しが与えられたということは、今ようやくお付き合いしている次女を失うことだと思ったという。実は彼は、次女が中3の時にロシアから帰国してチャーチスクールに入学した時に一目惚れして、ずっと長い期間、告白もせずにその思いを温め、祈ってきた。ようやく大学生になって告白し、一度は振られたものの、再チャレンジし、お付き合いができたが、留学中の次女とは、すぐに遠距離恋愛。それでもスカイプで、メールでコミュニケーションを図りつつ、交際半年目、という時の「召し」だったというのだ。彼はすでに次女から何度も、召しが別々なら別々の道に進むことになる、と聞かされてきたので、自分が「献身」の道を進むなら、次女を失うことになる、と思ったそうだ。それでも神様の召しに従うことを選び、別れを覚悟で、「実は・・・」と神妙な面持ちでスカイプで話しを切り出したら、次女も「私も明確な召しを受け取った」と話し、二人はそれから3年後に「結婚」に導かれた。
若い二人の新しい生活が始まったが、そもそも若い二人が結婚できたのは、彼の会社の社宅に住むことができたからだ。広々とした2LDKのマンションで、対面キッチンやウォークインクローゼットまである素敵な部屋。しかも周辺の住宅の中では一番高く見晴らしも良い。しかし、そのゆったりした新婚生活がまだ一年も経たぬうちに、宣教訓練にと会社を辞めることになった。クタクタになりながら、数か月前に広げたものをたたみ、使ってもらえるものは方々へ差し上げ、スーツケース一つで出て行った。
そんな次女夫妻を見ながら、自分たちの若い頃を思い出していた。何度引っ越ししたことか・・・。何度諦めなければならない思いをしてきたか・・・。物に執着しないようにと言い聞かせてきたか・・・。
「宣教訓練の第一歩」はまさに引っ越しからだとつくづく思う。
あと一年だって二年だって、普通に会社で働いて、素敵な社宅に住むこともできたのに。でも彼らは知っている。それ以上に勝る、主の大いなることに期待しているし、そんな労苦は愛する主のために捧げることは、当たり前だと思っているということを。
そう、母はこれからの主の訓練に期待しています。砕かれて砕かれて、謙遜な僕としての働き人になっていってください。
涙を見せずに、笑顔で送り出した。(KT)

2017年3月24日金曜日

送別会で

 きょうは、あと1週間でアンテオケ事務局を去ることになった小生の送別会ということで、浦和にあるホテルの19階のレストランで事務局主事の方々とフレンチのランチをともにさせていただいた。特別に前総主事の安海靖郎先生も同席され、久しぶりにいろいろな話に花が咲いた。
 安海先生は今も毎年数度インドネシアに行って、特にインドネシアの諸教会が世界宣教の働きに力を入れるように励まし続けておられる。5年前に「ワールドバートナーズ」という世界宣教団体がアンテオケ宣教会をモデルにして立ち上げることを助けられ、今、この団体は世界宣教の啓発、ネットワーキング、訓練、派遣の働きに大いに用いられている様子をきょうもうかがうことができた。すでにインド、フィリピン、ミャンマー、トルコ、アフリカ、パキスタン、タイ、ブータン、バングラデシュに9組の宣教師を派遣しており、さらに今年も新たに4人の宣教師を派遣することになっているとのこと。
 安海先生の話で印象的だったのは、その「ワールドパートナーズ」などにより、インドネシア各地の教会で世界宣教の重要性についての学びが盛んにおこなわれていることだった。その学びのために用いられているのは、「カイロス」と呼ばれる聖書に基づく世界宣教についてのコースである。これを学んだクリスチャンの多くは、世界宣教への動機づけが明確になり、様々な形で世界宣教に関わるようになっている。
 日本でも小さな規模でそのコースの学びがなされているが、種々の制限があって広がるに至っていない。何とか、このカイロス・コースが多くの方々が参加できるものになるように祈らされている。(gaki)

2017年3月6日月曜日

ローマ法王

 イタリアに卒業旅行へ出かけていた娘から、旅の心配をする親に数日おきに観光地で撮った写真が送られてきた。中でも驚いたのは、「ローマ法王に会っちゃいました」となんだか呑気な表題つきでのラインの動画だった。
 4人の女子大学生の旅は、クライマックスにバチカン市国へ出かけたようだが、彼らは入場規制がされる中、しかも入口で整理券が配られていた気配もするりと抜けて中に入り大勢の様々な言語が飛び交う人波をかき分け空いている椅子に座った。4人で渡れば怖くない?この図々しさに驚くけれど、彼らは「いったいこの広場にこんなに沢山の人たちが集まって何が始まるのだろうか?」と思っていたようだ。しばらくすると、ローマ法王が小さな一人乗りの電気自動車のような車に立ち乗り、歓喜の花道をやってきた。
娘が送ってきたその動画をカトリックの信者の友人にラインで転送すると、この出来事に説明をしてくださった。周りにいる方々は世界中から法王に会うために、それぞれの国から申し込みをし当選したほんの一握りの方々で、目の前を通られる1分ぐらいの為にいろいろな準備をして祈ってやってきているのだそうだ。
4人の日本の娘たちは、申し込みもせず整理券も取らず、どこかの国のどなたかの予約席に何も知らずに座り旅の疲れを癒していたら、なんと周りのご婦人や紳士たちが喚起する中、気が付いたら「法王に出会えた」というわけだ。なんてことでしょう!!
まして、うちの娘ときたら座っていた椅子の隣に立っておられた優しそうな老婦人に、「あなたは、背が小さいのだからその椅子に乗ってビデオは撮ったらいいのよ!」と言われ、彼女はとっさに椅子の上に立って動画撮影に臨んだ。お恥ずかしいことです。。。
帰国後、一部始終を聞きあきれる母の「その婦人は、一体どこの国の方で、何語だったの?」の質問に「わからない(笑)ジェスチャー付きだったから、きっとそう言われているのだろうと思って」=旅の恥はかき捨て= 優しいカトリックの方々でよかったね。
憐れみ深い主よ、旅の思い出をありがとうございました。(N)

2017年2月6日月曜日

やぎさん郵便

 2016年も無事に聖書通読を終えた。1年で聖書を1回だけだが、通読するようになって8年がたった。よく巷で言われているのは、一日4章読むと1年で通読できるという事。8年前通読を始めるにあたってどれだけの章があるのか、聖書を調べてみた。新改訳聖書の旧約聖書は929章、新約聖書は260章ある。合計すると1189章、一日4章ずつ読むと298日で通読が終了する予定だ。カレンダーに置き換えると、元旦から毎日4章読み始めて、9月半ばというところだ。単純に1189章を365日で割ると3・25章になる。4章読める日もあれば、3章読める日もある・・でいいのかな?と気楽に始めた。最初の2年は、創世記から出エジプト・・と一枚一枚ページをめくって通読していたが、年間を通して毎月同じ個所を読むのか~と思い始め、3年目に読んでいない箇所を確認できるようにと、自分なりの一覧表を作成した。そして、その年から読んだ章をマーカーで塗りつぶすようにした。クリスチャン的に言うと、「示された所を読む」なんて、かっこいいことを言ってみたいけれどあまり感度良好なアンテナを持ち合わせているとも思えないので、礼拝で語られる箇所に合わせて読んでみたりした。また、詩篇は150篇あることを表を作成するときに改めて気づき、ある年は夏休み8月の1か月間で毎日毎朝5篇を朗読した。声に出して、詩篇を朗読することの素晴らしさに心も魂も癒された。そして、なぜか?31日目に詩篇の通読が終わった(笑)このぐらいのアバウトさが、8年続いた心地よさかと思っている。
昨年、いつにもまして忙しさの中なんとか12月クリスマスの頃に通読を終えられたが、それから年が明けるまで1年を思い巡らし、毎日毎日聖書のみ言葉を読めたのはよかったけれど、果たして神様からのメッセージをしっかりと受け取れたのだろうか?と自身を顧みた。そして、ふと動揺の「やぎさん郵便」が思い出された。
    「白やぎさんからお手紙ついた。
     黒やぎさんたら、読まずに食べた。
     仕方がないので、お手紙書いた
     『さっきの手紙の御用時なあに』」 まどみちお詩
白やぎさんの神様は、私にせっせとメッセージを送っているのに、私は毎日ただただせっせとそれを食べるだけに必死で、何が書かれているのか?よくわかっていない中、これまた一生懸命に「主よ、あなたに何を捧げたらいいでしょうか?今日のご用は何ですか?」と祈っていたのではないか?と思わされ苦笑した。(きっと神様も呆れておられたでしょうね・・・)
さて、それでも懲りずに今年もまた通読を始めている。多忙の中にあっても、今年は黒やぎさんなりにお手紙は心して拝読してからいただこうとおもっている。(N)

2017年1月16日月曜日

本当の優しさ

 2017年元旦、聖日の礼拝を献げ新年を恵みの内に静かに迎えることができた。翌日から休みの間ゆっくり過ごすはずだったが、次の週の奉仕に向けて1通のメールが入り、その週のスケジュールが変更に次ぐ変更となった。また私に都合の悪いその知らせは、心に波風を立たせ主の前に「できません」と「やりたくありません」を新年から代わる代わるに申し上げることとなった。結局、祈りというか不信仰な思いを聞いてくださった主は、最初の予定に戻してくださって、日曜日を迎えたのだが・・・結果は、私の思った通りの最善のご奉仕をお献げすることはできなかった。準備した内容が悪かったのか?体調を最善に整えることができなかったからか?自分自身の課したハードルが高かったのか?どうにも納得のいくものではなかった。要は失敗した!と思ったのだ。
 翌日、年末から続く心の疲れを引きずって「静まりの会」へ出かけた。そこでお交わりをしてくださった方から、ある一冊の本を紹介してもらった。
    「自閉症の僕が跳びはねる理由」 東田直樹著
帰り道、本屋に飛び込んで購入し早速読んだ。そして彼の繊細だけれど、自由な心に触れてとても慰められた。ひとつ、中のお話しを紹介したい。
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  ずるっと滑った
「みんなの中で、一番足が速いのは私よ」ピョコピョコ、ウサギが言いました。
「大昔に勝負して、僕だって決まったはずでしょ」カメが、不機嫌そうに答えます。
「そんなこと、どうでもいいよ」他の動物たちは、気にしていません。
それでもウサギはどうしても、もう一回競争したいと言い張ります。
カメは仕方なく、スタートラインに立ちました。ウサギとカメの競争です。
「ヨーイ、ドン」
ウサギは猛烈に走り出しました。
カメは、ずるっと滑って、ひっくり返ってしまいました。
みんながカメを心配して駆け寄りました。
「大丈夫?」「帰って休んだ方がいいよ」
カメはみんなに抱きかかえられて、家に帰りました。
ウサギがたどり着いたゴールには、誰もいませんでした。
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 滑った私を主は、周りにいる優しい方を用いて慰め、励まして下さり、また大切なことを教えてくださった。東田君の言葉にもう一つ、「本当の優しさというのは、相手の自尊心を傷つけないことだと思う」と読んだときに、滑った奉仕にも感謝を献げることができた。(N)


2016年12月26日月曜日

クリスマスはどうすごしましたか?

 昨日、この一年最後の日曜日に思うところがあって夕拝に出かけた。

 「今年のクリスマスは、どんなクリスマスでしたか?
 昨年のクリスマスは、どんなクリスマスで、何が一番印象に残っていますか?
 3年前、5年前のクリスマスのことは何を思い出しますか?
 10年前のクリスマス、1990年のクリスマスは何をどこでしていましたか?」

との問いかけに、ほんの短い時間 いろんなことが頭の中をよぎった。
バブル真っただ中の80年代後半のクリスマスは、
「福音」という言葉も知らずに、沢山の友人を自宅へ招き、パーティをしてもてなした。
世の中が着飾ってクリスマスをするのに退屈な思いがして、
「ハワイアンクリスマス!アロハシャツか?Tシャツを着てくること。」をテーマにした時もあれば、「パジャマクリスマス」の年もあった。
ただ、友人と面白おかしく過ごす時でしかなかった。
また、ク・リ・ス・マ・ス、という言葉の意味さえ知らなかった。

当時は、東京にいたにも関わらず、どこかで教会のチラシを手に取るという幸運や
キャロリングを耳にする最高なひと時や、
礼拝に招かれるという祝福も機会を得なかった。

ただ思い出すのは、20歳の時のクリスマスで、女の子3人で代官山でおしゃれに、
そぞろ歩いて祝日を過ごした。
中の一人が、「今日はクリスマスだから、教会に行ってみようよ」と素敵な、でもよく意味の分からない提案をしてくれた。3人は、「まあ・じゃあ~、物見遊山で近くに教会はないか」と探しながら歩き回わり、恵比寿の駅の近くで(たぶん)大きな十字架のついた教会を見つけそこに入った。今思うとカトリックの教会だった(はず・・・)1階の礼拝堂には人がいなく、2階が騒がしかったので、外階段で2階へ上がった。
そこでは、制服を着たお行儀のよい幼稚園生が100名以上いたと思うが、長いテーブルに座り集まってクリスマス祝会をしている真っ最中だった。シスターが出てこられて、私たちの「クリスマスなので教会に来ました」という幼稚な言葉に、笑顔で快く迎え入れてくださり、幼稚園児の間に席を作り、座らせてくれた。そして彼らと同じようにお菓子が配られ、もてなしてくださったのだ。しばらくすると、プレゼント交換が始まったが、当然何も持ち合わせがない3人にシスターが親切に用意してくださったプレゼントが託され、子供たちの交換場に入れてもらって、しっかりプレゼントまでいただいて帰った。言われるがまま、なすがままだったが、めちゃくちゃ、恥ずかしかった。
でも、今でも忘れられない素敵なクリスマスの思い出だ。

今は3人ともそれぞれ結婚し家庭を持った。
A子は子育てをしながら近くの教会に出かけ宣教師と共に英語のバイブルスタディーに参加したりしていたが、宣教師が帰国、「クリスチャンにはならない・・」と言っている。
また最初に、「教会に行ってみようよ」と誘ったB子は、今もクリスマス礼拝に時々A子とやってくる。
面白がってくっついて行ったC子は、結婚して海外駐在へ出かけ福音を聞きクリスチャンになった。帰国後その証を二人に話し、時々彼らと関わりながらA子とB子の救いを祈りつつ、神様の救いのタイミングとご計画を楽しみにしている。そして、このクリスマスの思い出を思う時、神様は本当にユニークで微笑ましいお方で、愛と憐れみに満ち溢れておられると感じ、感謝してやまない。(N)