2016年2月16日火曜日

静まりへの招き

詩編 46:10 静まって、わたしこそ神であることを知れ。(口語訳)

静まりのリトリートに出かけてきました。
世話しない毎日、朝のデボーションの時間を何とか取分け、祈りも十分にできたと言えないほどになっている自分に、どうにかしないと・・・と焦るばかりでした。
神様は、私に静まりへの時間に導いておられると感じて、リトリートへ申し込みました。

御言葉が読まれ、静かな時間の中でこの半年のことを振り返る大切な時でした。

その後、この集いの素晴らしさを共有したいと思い、学びの集いにも参加しました。
そこでいただいた資料にある「静まる」という言葉の別訳とそれを含んだ意味をご紹介します。

「やめよ(新改訳)」「力を捨てよ(新共同訳)」「立ち止まって」「武装を解いて」「肩の力を抜いて」
「手放して」「じっと待って」「控えて」「休んで」など・・・


何かを(余計な事を)やめて、静まる 
しばし立ち止まって、静まる 
がたがた騒がないで、静まる
握りしめているもの、しがみついているものを手放して、静まる
”私が、僕が”の気負いや、力みを捨てて静まる
じっと待って、静まる
分をわきまえて控えて、静まる
武装を解いて(武器を捨てて)、静まる
肩の力を抜いて、静まる

私たちは、幼いころから
早くやること、頑張ること、走ることは教わっても
休むこと、立ち止まって振り返ること、静まることを教わることはないと・・・

日々の生活の中、静まることの必要を覚えて、「一日の終わりに、今日のことを思い振り返る」
「日曜日の礼拝で、先週のメッセージのみ言葉を思い起こし、1週間を振り返る」
「月に1度、1か月を振り返る」静かな時間を持ちたいと願っています。

静かな中で宣教の主に親しく語っていただき、
御霊の働きを邪魔することなく、ここに置かせていただきたいと祈ります。(N)