2016年9月7日水曜日

~ラサへの歩き方~「祈り」の映画

 中国映画 『ラサへの歩き方~祈りの2400km』 を見てきた。 

チベット仏教を信仰しているカム地方の小さな村から総勢11人がグループとなって、生涯に1度は巡礼に行きたいと願う地「ラサ」へ祈りの巡礼の旅に出る。

キリスト教やイスラム教の巡礼の旅と違うのは、彼らは「五体投地」=(全身を地に投げ出して行う最も丁寧な祈りの捧げ方)で、片道1200kmを歩くのだ。いや、、歩くというよりも私の見た感想は、7歩でヘッドスライディングをしながらと言うのが、その祈りのスタイルを紹介するに一番想像しやすい言葉かもしれないと思う。手には、木の板で作ったスリッパのような物をはめ、体の前半分には牛の皮で作った膝下までの大きなエプロンを着る。決まった祈りを唱え歩きながら、頭の上で一度合掌、胸の前で一度合掌、そして全身を地に投げ出しひれ伏し合掌、を繰り返す。そう!その祈りのスタイルを、地面にひれ伏した途端に、また立ち上がってはそこから同じ7歩の祈りの五体投地をしてひたすら歩く。そう!彼らは、1200kmそれを繰り返しながらラサをめざすのだ。

 旅の11人のメンバーには、父を亡くしたばかりで弔いの旅をする男性、生まれてくる子に祝福を望む妊婦、人生を祝福してもらいたいと参加した10歳の女の子。また家畜を屠る仕事をしていて罪悪感に悩まされている男が屠畜の罪を償いたいと旅に参加する。ラサへの理由は、一人一人様々だ。 旅の途中で、妊婦は産気づき新しい命が誕生し、年配の祈り手はある朝、地上での命の時間を終える。彼らは、毎日テントを張り、煮炊きし、毎日寝る前には全員での祈りの時間を持ちと助け合って様々な事を乗り越えていく。彼らの祈りは、個人的な祈りではなく、この地上にある生きとし生けるものへの祈りだ。祈りの映画というので、先に情報を得ることなく全く内容を知らずに見に行った。そして「五体投地」に唖然とし、ずーとその祈りの巡礼を続ける彼らの真摯な思いに圧倒された。アスファルトの道に頭までべったり付ける最初の驚きなど大したことはなく、大雨の後の土砂が流れる川のような道路も、ザバーンと音をたてて体中に泥水を浴びながら五体投地を繰り返す。山道、砂利道、泥道、雪道、凍道、・・・ひたすら、祈りの熱い巡礼の旅が繰り広げられる。もう、途中から美しい中国の景色が目に入らない。

 8月に「祈りの力」というアメリカの映画を見たが、これとは比べられない別の思いになった。また、2014年の夏には、「大いなる沈黙へ~グランド・シャルトルーズ修道院」という映画を見た事も思い出していた。この修道院の映画でも、驚いたことの一つは礼拝堂で体を地面に投げ出しちょっと横座りのような恰好で祈りをささげる修道士たちの姿だった。あれもいわゆる「五体投地」と同じ思いからのスタイルなのだろうか。    結局、ラサへの巡礼の旅は、このスタイルで往復2400kmほとんど1年かけて行われていた。映画を見ながら、祈りのスタイルは違えども、私達キリスト者も、毎日が巡礼の旅。しかし、彼らのように、「いついかなる時も、最初に主にひれ伏し祈りをささげて歩んでいるだろうか?」と祈りへの思いを探られた。そして、ラサへ巡礼の旅に出る彼らを尊重しつつも、主の福音がその地に届けられるようにと祈った。(N)