2015年8月11日火曜日

「私のヴィア・ドロローサ」を読んで

 最近、「私のヴィア・ドロローサ『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」というタイトルの書物(発行:日本聖書協会、発売:教文館、定価1500円)を読んだ。著者は、村岡崇光氏。個人的にも親交があり、尊敬する聖書言語学者である。村岡氏は、聖書の言語である、ヘブライ語、ギリシヤ語、さらにアラム語などの分野において、世界でも有数の研究者だが、12年ほど前にオランダのライデン大学を退官する時に、自分の時間の十分の一を主にささげて、ボランティアで聖書言語の授業をすることを決意しておられた。それも、特にアジアの地域で、日本が侵略した国々で教えることにしておられた。それは、村岡氏が聖書言語の教育者として生活した、イスラエル、オーストラリア、イギリス、オランダなどでの個人的な体験から、太平洋戦争中にアジアの国々において、現地の方々がいかに悲惨な目に会ったかを知るようになり、キリスト者として、その悔い改めの思いを実際の行動に表すために、アジアの諸国でのボランティア授業を2013年から始められたのだった。
 氏が桂子夫人とともに訪れたのは、韓国、インドネシア、シンガポール、香港、フィリピン、中国、台湾、マレーシア(サバ州)、ミャンマー、タイの10カ国に及ぶ。その国の神学校で聖書言語の授業を担当し、原語で聖書に親しむことの素晴らしさを学生たちが体験する様子が描かれているが、それ以上に氏が力を入れているのは、その学生たちや神学校の教師たちとの交わりの中で、先の大戦中、日本軍が残した「爪痕」を実際に確認し、謝罪し、和解を求める思いを実行に移すことだった。「聖書の神は、罪をお赦しになるお方だが、過去の罪を決してお忘れはならない」という確信のもと、どんなにつらくとも、過去の罪をあいまいにすることなく、赦しを求めていくところに、真実な交わりが生まれていく様子が綴られている。
 間もなく、戦後70年の「総理大臣談話」が発表される。やっとのことで、アジア諸国への「おわび」の文言が入ることになりそうだが、ことばだけでなく、実際の行動によって、その意を表すにはどうするべきだろうか。わたし自身、何度となく、アジア諸国を訪れたが、村岡氏のこの著書を読みながら、自分の姿勢の不徹底さを痛感させられている。(gaki)